2016年4月10日
ちょっと歴史から表札の縁起がいい!悪いを考える。
時々、表札に苗字を彫のは、墓をイメージさせるので縁起が悪いと聞きますが、
近代国家になる前の江戸時代は一般的に、今イメージするような墓ではありません。
一般的には共同墓地に土葬し木や石などを墓標にしていました。(埋め墓)火葬もありましたが少数です。
縁起が悪いとされる墓穴を掘るは土葬を連想させることからで「彫る」ではなく「掘る」です。
また、埋葬と別にお寺などで石塔を建て戒名を刻み供養をしていました。(参り墓)
大正前に今のような「家」のお墓になったようです。
家に表札がないのは縁起が悪いと聞きます。
表札は、明治時代、名字・姓を名乗ることを義務化した平民苗字必称義務令や郵便制度が整った後に大正のころから一般に普及していきます。
それ以前の江戸時代は苗字帯刀を許されているもの以外は公に苗字は名乗れませんでしたし、そもそも表札はありませんでした。
家を表すのは家紋や屋号でした。
世界的にも表札を玄関や門柱に掲げるのは一般的ではないようです。平和な日本だからこそでしょう。
また、木製はよく陶器は割れるので縁起が悪いと聞きますが、木製は燃えます。
江戸時代初期の民家の屋根は板葺、草葺で瓦葺きを禁止していました。
人口が急増した江戸では、度重なる火災で多くの被害でます。目安箱に瓦葺きの許可を願う声があり、
8代将軍吉宗の治世、1720年に瓦葺き禁止令を廃止し反対に奨励していきます。
それから民家でも屋根瓦に家紋・屋号を施すようになっていきます。
史跡の発掘調査でもイメージできると思うのですが、割れても燃えない瓦、陶器は長い歴史の事実を後世に伝えています。
(それぞれの材質の質感、特徴が魅力であると思います。木も燃えるからこそ魅力があります。)
余談ですが喪服の色も時代によって白から黒、黒から白と江戸時代は白喪服が一般的で明治から黒の喪服になりました。
縁起担ぎはその時代でかわります。
by 瓦職人 清水